歴史
WaKuDa history
創業年の歴史と信頼
江戸時代から大工棟梁を営む和久田儀三郎は、長男に大工棟梁を承継し、その長男と共に父親の大工棟梁を教示されていた次男である精造は、21歳(明治27年)にして迎町に分家するとともに大工棟梁を承継し、本町界隈のお客様取引を儀三郎から譲り受け、明治27年以降に本町を中心に工事の実績を上げていった。
即ち分家した次男の精造を和久田建設創業者として歴史を数える事としている。
当時、植柳橋・前川橋は存在せず、木船で往来していた時代である。大工棟梁にとって本町界隈の工事上都合のいい場所として、和久田本家(植柳町)と本町との線上に土地を探し、そこを和久田家分家(迎町)、即ち大工の加工場として和久田精造・ユキ夫婦の居住する自宅兼加工場を建設している。この土地が創業の地である。
この加工場跡地が現在の迎町カメリアハイツの建設地であり、和久田家が現在でもこの土地を管理している。
昭和に入り、そこから120m南に土地を新規購入と同時に旧和久田建設本社ビルを建設し、その約50年後の平成3年7月に八代新本部ビルを竣工させている。